学校の歴史

学校の歴史

  本校は、昭和58年4月2日に、岩西・二川小学校を一部分離して新設開校されました。
 「飯村(いむれ)」の地名は、頼朝伝説の故事に由来するといわれていますが、「いむれ」とはなかなか読めない地名です。学校の南に旧東海道が通り、二川宿と吉田宿を結ぶ要衝でありました。一里塚、茶屋・二軒茶屋という地名に昔をしのぶことができます。

 校区には、かつては農耕地が多く、「さつまいも」の特産地として栽培農家も多くありましたが、豊橋市の東部地区の市街化が進み、飯村地区の区画整理により、住宅地として生まれ変わりました。栽培農家は減少しましたが、「飯村のさつまいも」は現在も銘柄品として販売されています。また、飯村公園という大きな公園と東部地区市民館(飯村分館)が隣接しており、恵まれた教育環境にあります。

 開校時は、学級数18,児童数662名でありました。その後も住宅化が進み、平成3年度に東校舎が増築され、現在の校舎が完成しました。そして、平成4年度には学級数23,児童数803名とピークを迎えました。
 近年は、外国籍の児童数も増加しており、国際色豊かな学校となっています。