日誌

校歌に包まれて


 最強といわれた台風19号が過ぎ去り、予定を変更するなどして、各町で祭礼が行われました。

 小池神社では、恒例の和太鼓演奏がありました。5時半になると、ステージ前には、地域の人たちがシートに座って、子どもたちの出番を待っています。子どもたちは、緊張感に包まれながら、3曲を披露。「よく合わせられるなあ」と見物している地域住民の感嘆の声に、「練習頑張ってきましたから」と答えておきました。

 その後、橋良神社で、本校の清川、瀬野尾先生が手筒花火をあげると聞いていたので、自転車を走らせました。途中、福岡っ子が「校長先生じゃん」「こんばんは」「どこいくの」と声をかけてくれました。

 西の空が夕焼けに染まる中、橋良神社につきました。爆竹があちこちでなり、出店もありにぎやかです。くじをもった人たちの長い行列ができていました。

 いよいよ奉納花火です。清川、瀬野尾両先生の登場です。スーツでもなく、運動着でもなく、祭着でさっそうと現れたふたり。一礼の後、手筒に点火された手筒は炎をふき上げます。両先生は、炎が安定すると、筒を起こし、体全体で支えます。宙に吹きあがった炎が、火の粉になって、桜の花ふぶきのように落ちてきます。その美しさといったら言葉にしようもありません。

 清川先生に聞いたのですが、手筒の製作はすべて自分に任されるそうです。竹を取り、筒をくりぬき、縄を頑丈にしめる、そして火薬をつめる、数週間前からたいへんな準備があるわけです。桜が厳しい冬を乗り越えて花をつけるように、美しい花火にも、厳しい時間が流れているのです。

 吹き上がる炎のBGMに校歌が流れました。するとどうでしょう。そのメロディにあわせて校歌を口ずさむ子どもや大人。校区の人たちのやさしい歌声に包まれ、ふたりの晴れやかな炎の舞が繰り広げられたのです。