お知らせ
<二川の歴史>
◇宿場町 二川

 1635年、参勤交代の制度ができてから、街道の整備が進み、大名や旅人たちの行き来は、とても多くなりました。街道に沿った村は、宿場として、大名や旅人の泊まる宿を用意したり、隣の村まで荷物などを運ぶための人足や馬を用意したりしなければなりませんでした。








◇本陣と参勤交代

 江戸幕府は、全国各地の大名に、1年おきに藩と江戸とを行き来するように命令しました。そこで、大名や公家などの身分の高い人が泊まるために、宿場ごとに本陣を置かなければならなくなり、100年余りにわたり、二川の人々がその役をつとめてきました。明治になって本陣が廃止となり、最後に本陣の役を務めた馬場家は、醸造業を経営するようになりました。しかし、本陣のころの建物はほとんどそのまま残されており、1987年、市の史跡に指定されました。





◇二川小学校の誕生

 明治に入り、近代的な体制が整っていく中、教育においても一つの節目である,「学制」が明治5年に制定されました。この年に二川小学校は設立しました。当時の校舎は現在の校舎と位置が異なり、敷地の北側に位置しております。