二宮金次郎像について
二宮金次郎(1787~1856)

Q二宮金次郎ってどんな人ですか?
A二宮金次郎(後の尊徳)は、江戸時代末期(1787~1856)、現在の神奈川県小田原市の農家に生まれました。当時の農村は飢饉(ききん)や重い税などで崩壊寸前(ほうかいすんぜん)でした。金次郎は早くに両親を亡くし、15歳の時に一家離散となり兄弟が別れ別れになりました。しかし、知恵を出し、よく働くことで23歳の時に二宮家を復興させました。また、当時の藩主・大久保忠直に優れた能力を見いだされ、当時貧困にあえいでいた農村の立て直しを任されて、成功させました。その後、この経験を生かして苦しんでいる農村を立て直し、実に600以上の村を救いました。


Q前芝小学校の二宮金次郎像は「日本最古」って本当ですか?
A正確に言えば「学校に建てられた二宮金次郎像として日本最古」です。大正13年(1924)1月26日、前芝小学校の前身、前芝尋常高等小学校に建てられました。この像は約1mのセメント製で野良着姿にわらじ履き。左肩に魚籠(びく)を背負い、右手に本を持っています。昭和天皇のご成婚記念としてこの小学校に寄贈されました。像の材質がセメントだったため、太平洋戦争の金属供出を免れ、現在にその姿を残すことができました。

Qどうして「魚籠(びく)」を背負っているんですか?
A「魚籠(びく)」は魚や貝を入れるバッグのようなものです。当時の前芝は漁業が盛んであり、多くの子どもたちが魚籠を持って家の手伝いをしていました。制作をした藤原利平は、薪(まき)よりも魚籠の方が身近で分かりやすく、二宮金次郎の教えが伝わるのではないかと考えたからだといわれています。