日誌

2019年10月の記事一覧

メタセコイヤの思い出


 小学校時代の部活動の思い出と言えば、サッカーの中央大会に出場したことです。昔々48年前、思えばもう半世紀近く前の出来事。田舎の小さな学校だったので、当時としては快挙でした。

 忘れられない理由は、私のミスで負けたからです。

 当時、私はキーパーをやっていて、チームは結果的に市内優勝したチームと初戦で対戦、接戦だったのです。しかし、今思えば、私のポジションが悪く、前に出過ぎていたのでしょう。相手のヘディングしたボールは、私の頭上を越え、ゴールの中に落ちていきました。そして、これが決勝点となって、あえなく1回戦敗退となりました。ここで、私とサッカーのつきあいは終わりました。ただ当時は忘れてしまいたかったこの敗北も、ずいぶん時が経ち「がんばったんだよ」と思い出が慰めてくれ、懐かしいものになっています。

 このときの他の思い出といえば、実に断片的です。近くに電車が走っていたこと、グランドがやたらと広かったこと、そして大きな樹が見えたこと。そう、会場は、福岡小学校だったようです。私が、本校に赴任したとき、その風景を見て、ああ、あの樹はメタセコイヤだったんだと、思い出の中の樹にたどり着くことができました。

 今も部活動を見るのが好きで、授業後、グランドにサッカー部の練習を見に行くことがあります。声を出し、元気に走り回る選手たちがまぶしく見えます。遠い昔の自分を重ねながら、今の選手は、本当に上手だなと感心しきりです。

 令和の時代になり、長い部活動の歴史も閉じようとしています。しかし、懸命にがんばった思いや思い出は閉じることなく、永遠に続いていきます。球技部のみなさん、頑張ってください。

校歌に包まれて


 最強といわれた台風19号が過ぎ去り、予定を変更するなどして、各町で祭礼が行われました。

 小池神社では、恒例の和太鼓演奏がありました。5時半になると、ステージ前には、地域の人たちがシートに座って、子どもたちの出番を待っています。子どもたちは、緊張感に包まれながら、3曲を披露。「よく合わせられるなあ」と見物している地域住民の感嘆の声に、「練習頑張ってきましたから」と答えておきました。

 その後、橋良神社で、本校の清川、瀬野尾先生が手筒花火をあげると聞いていたので、自転車を走らせました。途中、福岡っ子が「校長先生じゃん」「こんばんは」「どこいくの」と声をかけてくれました。

 西の空が夕焼けに染まる中、橋良神社につきました。爆竹があちこちでなり、出店もありにぎやかです。くじをもった人たちの長い行列ができていました。

 いよいよ奉納花火です。清川、瀬野尾両先生の登場です。スーツでもなく、運動着でもなく、祭着でさっそうと現れたふたり。一礼の後、手筒に点火された手筒は炎をふき上げます。両先生は、炎が安定すると、筒を起こし、体全体で支えます。宙に吹きあがった炎が、火の粉になって、桜の花ふぶきのように落ちてきます。その美しさといったら言葉にしようもありません。

 清川先生に聞いたのですが、手筒の製作はすべて自分に任されるそうです。竹を取り、筒をくりぬき、縄を頑丈にしめる、そして火薬をつめる、数週間前からたいへんな準備があるわけです。桜が厳しい冬を乗り越えて花をつけるように、美しい花火にも、厳しい時間が流れているのです。

 吹き上がる炎のBGMに校歌が流れました。するとどうでしょう。そのメロディにあわせて校歌を口ずさむ子どもや大人。校区の人たちのやさしい歌声に包まれ、ふたりの晴れやかな炎の舞が繰り広げられたのです。

優しい朝の風景を見つめて

    ある朝のことです。通学路の歩道で転んだ中学年の女の子がいました。アスファルトでひざが擦れて、かなり痛そうです。立とうとするわけですが、手をついて四つんばいになったまま、なかなか動けません。目から涙はとめどもなく出てきます。その涙に圧倒されてか、班の子は、その場に立ち尽くしたままです。いたいたしさに、子どもたちの時間は止まったままでした。

  そのときです。1年生の男の子が、その上級の女の子に手をさしのべるではありませんか。かざされた、その小さな優しい手のひらをじっと見つめた彼女は、やがて顔を上げ、自力で立ちあがったのでした。そして涙を拭き、ランドセルを背負い直すと、今度は彼女の方からその男の子に手をさしのべました。手をつなぐと、みなが安心したように歩き出しました。彼らの時間も動き出したのでした。

    福岡ウォークの舞台である通学路では、こんなふうに優しさのあふれる福岡っ子の紡ぎ出す感動的な場面があります。先日は、突然鼻血を出した男の子を「大丈夫、大丈夫」と安心させながら登校する子たちがいましたし、泣き出した1年生の子をおんぶして登校する上級生もいました。

  しかし、その一方残念なこともあります。大きな声で挨拶してくれた子たちの声がめっきり小さくなったことです。地域の方から挨拶ができなくなったねえというのも声も届いています。優しさが声にならない、これは悲しい風景です。

  大きな声を出すことは、人とつながることはもちろん、自分の身を守ったり、だれかのいのちを救ったりと、大切な行為です。昨日の福岡ウォークでは、元気な挨拶が校区にとどろいていました。この声が毎日続くといいなと思いながら、手をつないだ2年生と4年生の子たちの背中を見つめていました。